Mr. インクレディブル(吹き替え版)

横浜で。
たとえ静止画でも、3DCGを造ったことがあれば、もしくはその知識があれば、この映画の凄まじさにはうちのめされるはずだ。
ひとことでいえば、すべて「なにげない」のである。こういう「人形」がいて、服を着ていて、それがその意志で動いている、としか見えない。そういう不思議な「世界」がすべてあるがままに作り込まれているのだ。
たとえば、ぱさっと風に吹かれて額に落ちる。太った主人公の着るシャツがよれて皺がよる。主人公がドライヤー片手に本を乾燥させれば、ページがめくれる。ああ、自然だよ。なにげないよ。そこに投入されている凄まじい技術について、見逃せばなんの不思議もないかもしれない。
だから、そこで楽しそうに見ている中学生の襟首を捕まえて「これは、もの凄いコトなんだよ」と言ってガクガク揺らしたくなるような衝動につかれてしまう。犯罪になるからやんないけれどさ。
技術が技術であることをこれみよがしに主張しない、それがピクサーだ。言葉でいえば簡単だけど、難しいよな。

ところで、そうまでして、表現しているのは、スーパーヒーローが訴えられちゃう悲しい世界、「正義」が空回りして役割を果たせなくなってしまった世界、だったりする。「家族」で大活躍という明るめのお話で、みんな誤魔化されてはいけない。この物語は「構造的」に悲劇だ。
「敵」自体、ヒーローになりたかった少年のなれの果て、という皮肉が、すべてを表していると思わないか?