ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還SEE オーディオメコンタリー

ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 スペシャル・エクステンデッド・エディション
ピーター・ジャクソン


本編のほうは見終わったので、監督と脚本家のコメンタリーを。
本撮影と追加撮影。並大抵ではない苦労によってこのレベルの作品が出来上がったことはよくわかる。もっとも、美しい画面の景色を眺めながら、「このセットはどこそこのガレージに組んだんだ。空港の側で、飛行機の音がうるさくてねえ。」などと楽屋裏をさらされると、つや消しもいいところ。自業自得な話とはいえコメンタリーを見るのもいいやら悪いやら。
ただ、物語の解釈では、多分に私が読み間違えていたところが多かったので、興味深かった。たとえばデネソールのキャラ造型では、監督や脚本の意図としては、自分の息子よりも国家戦略を優先する冷酷な指導者だそうで、あの息子が出陣したにも関わらずも食事を続けるあの醜い姿は彼の冷酷さを表しているとのこと。私には、息子を八つ当たり気味にイジメながらも数々のストレスに悩まされ過食症気味になっている哀れな老人という感じに受け取とれたのだが。その神経症的な部分が後半の狂気に結びつくのか、と思いこんでいたが、製作意図とはちょっと違うみたいだ。
また、ゴラムのキャラ造型も思っていたより悪役に描いている様子。SEEで追加された「ウソをついていたんだよ」という台詞は重要で、スメアゴルとゴラムとが単純に善と悪の分離でないとのこと。ある意味スメアゴルは自分のもう一つの人格であるゴラムをも騙そうとしていた、という複雑な状況のような。「二つの塔」で彼を哀しい生き物として描いたことを考えると、私にはなんとなく釈然とはしないけれど…
ま、どちらにしろ彼が徹底的に救われぬ魂の持ち主であり、指輪をついに手に入れ火山の底に消えていく悲しい最期しかありえなかったのは、同じだけどね。
監督がトイレ問題と呼んでいる、指輪が火山に消えた後のエピローグがかなり長かったことに関してもスタッフの中でも論争があった様子。(普通3時間過ぎたくらいで、観客はトイレに行きたくなるんだ、と監督。)コメンタリーの最後のほうではブラン・ウォルシュ(脚本・製作)とフィリッパ・ボウエン(脚本)とでほとんど口論になりかけているのが、面白い。最後、監督がゼリーの中で論争して最後にたっていた人間がいいと思うのが、正しいエピローグ、なんておちゃめを言い出すし。あのエピローグはホントにいろいろと賛否両論だったんだねえ。
まあ、原作読者には西に行かないで、めでたしめでたしなエピローグは、受け入れられなかったろうし、それはトールキンの原作意図を踏みにじることになるので、たとえ映画的にはまずくてもあの長いエピローグを付け加えたことは間違いじゃなかったように思えるけれど。確かに映画の完成度として下がってしまうかもしれない。原作と映画のメディアの違いだから、ここの取捨選択は本当に難しい。でも、もしかしたら、アラゴルンとアルウェンのキスはもう少し短くしてもよかったんじゃないかな?