仮面ライダー響鬼 第30話

近辺で激震が走ったのが、この響鬼の変化。プロデューサーが交替して、癖の強い脚本家が担当した、このお話。
個人的にはとても出来がいいと評価できるものではないけれど、お話の基本の最低ラインを一応おさえた、プロの「やっつけ仕事」と見た。よくなっているところもあり、ダメになっているところもあり。
これまでの「響鬼」にどうしようもなく乗れなかった私なんかは冷静に見られるけれど、好きだった人たちには悲しいだろうね。
ある日、自分の好きだったモノが変質を遂げることの悲しさ。それに対して、自分は単なる読者視聴者なので、何も影響を与えることの出来ない悔しさ。それだけは、分かって欲しい、と。見る側は、「ここで実質的最終回」と決めることしか、対抗の手段はないわけだ。
数多くの小説家や漫画家が変質を遂げたり、あからさまなドラマやアニメへのテコ入れ路線変更に見てきた身としては、心から同情するのですよ。つい先日ネクサスの短縮打ち切りで、泣かされたばかりだしね。
こうなってみると、短縮はされたものの路線の変更を見ることなく、最終回までオレの光を走りきることができたネクサスのほうが幸運だったのかもしれないね。
この響鬼のあからさまな変化の理由はわからない。視聴率の低迷や玩具の売れ行きなど様々な憶測は乱れ飛んでいるけれど…。まあ、ホントのところは藪の中。
とはいえネクサスの時も感じたけれど、スポンサーと現場が見ようとするマーケティングのターゲットが決定的に違っているんじゃないだろうか?
あくまでも幼年誌あたりの読者を想定するスポンサーと、もしかしたら映像ソフトを買ってくれるかもしれない富裕な大きなオトモダチを想定するプロデューサー。日本の特撮はあくまでも玩具宣伝番組、そう思いこむ営業となんとか先進的なものを作ろうとする現場
こんだけねじれていれば、そりゃー作るモノやそれに食いついてきた視聴者と商品マーケティングは見事に反目するでしょうな。
日本でだって、スター・トレックシリーズなみのSFドラマが作れるはずだよ!と思う私としては、このマーケティングのまずさみたいなのが一番気になる。商売なんだから売れなくちゃダメで、生活のためなんだから、という意見に納得できるからこそ、自分たちのマーケティングをもう一度見直したほうがいいんじゃない?>玩具会社の担当様
日本の少子化はまったなしで、それだけで商売すれば先細りがくることだけは確かなことじゃん。