V フォー・ヴェンデッタ

アメコミ原作の近未来デストピアSF映画。政府による実験で怪物に仕立て上げられた仮面の男Vの復讐のダンディズム。

Vフォー・ヴェンデッタVフォー・ヴェンデッタ
ナタリー・ポートマン ジェームズ・マクティーグ ヒューゴ・ウィーヴィング

ワーナー・ホーム・ビデオ 2006-09-08
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手垢つきまくりのデストピアSFだけど、アメリカが崩壊し英国が世界の盟主となっている、という設定はちと面白い。最初に支援を申し出た合衆国に対して、ボストン茶会事件*1の逆をやるぞ!などとテレビ司会者に言わせているところとか、まあ、原作のアラン・ムーアはイギリス人だし「ウォッチメン」な人なので、この手の政治的皮肉はなお手の物なのか。
とはいえ、映画自体は、イギリスの伝説のテロリスト、ガイ・フォークスの生まれ変わりだとか、理念(アイデア)は死なないだとか…カッコイイことは並べているが、「実」が全くない。雰囲気だけで押し流して、ウシャオスキー兄弟が自分の好きなシーンを撮り、好きな台詞を言わせているだけ。(もちろん、雰囲気作りのほうは、ものすごく上手い。)
また、「モンテ・クリスト伯」には必要な、復讐に正当性を与えるだけの描写ってのが、ほとんどない。実質的には「モンテ・クリスト伯」というよりは、自分の創造者に対して「産まれてきたこと」そのものを呪う怪物の復讐行「フランケンシュタイン」なのに、下手にガイ・フォークスを出してきて社会派を気取り、最後は1930年代よろしく「メトロポリス」で落とすんだから。もう、なんだか混沌になったという印象しかないのだ。
「私は死なない。私は理念だけで出来ているからだ」と言われても、その肝心の理念とやらがまったく説明されていないのだから、こういうのに騙されちゃあいけないよ?革命を語るのは確かにカッコイイけれど、その後どうすんのかのほうがずっと大変なんだから。
美しいナタリー・ポートマン演ずるところのヒロイン、イヴィー。彼女をスキンヘッドにして拷問するシーンも、正直なところクエスチョンマークが乱れ飛ぶ。だって本人同様そうしなければならない理由が全然わからないし。(Vが地下に政府が持つような拷問部屋を再現しているその情熱は何?ってことになるし。)
ただし、ナタリー・ポートマン丸刈り姿は美しい。目の光を余計に強調するし、後ろ頭から首にかけてのラインがとてもきれいなので、鎖骨がとても色っぽい。品のよい色気が匂い立つ。あの拷問部屋シーンも、彼女を丸刈りにしたいがために無理矢理入れたんじゃないかな、と勘ぐってしまう。まあ、彼女はStar Warsのエピ1で大銀杏結ったりしてるので、それに比べりゃ丸刈りのほうがよっぽどましなような

*1:イギリス東インド会社の紅茶の船荷を海に投げ捨てたという事件。アメリカ・マサチューセッツ州ボストンで、イギリス議会の植民地政策に反対して起きた。