河童のクゥと夏休み

公式 http://www.kappa-coo.com/
夏休み最後の水曜日とあって、満員の劇場。立ち見で2時間半がんばりました。
全体的な感想としては、とにかくクゥの表情が上手い、それにつきるかも。
で、以下にネタバレ感想を。
まあ、ネタバレたからといって、それほどの影響はない映画だとは思うけれど、念のため。






感想が書きにくくて、書きにくくて、二日ブログもアップできなかった。いや、そんな考え込まなくても、と言われるのはわかっているのだけど。
とても丁寧に作られた、いい映画だ。はいはい。夏休みの宿題に感想にはぴったり。「河童が助かって沖縄でくらせて、とてもよかったと思います。」
感動と涙の物語。少年の成長。夏の終わりに相応しい感傷。
…でも、そうじゃない気がする。映画の基調音が、人間というものの生々しい「普通」の「残酷さ」だから。繰り返されるカメラのレンズの暴力は、その「普通さ」「何気なさ」の象徴。

出てくる家族は、ものすごくいい家族だ。年相応に未成熟ながら、河童に情愛を示す少年。なんのかんのいいつついろいろと優しく面倒を見てくれるお母さん。兄を河童にとられたような気がして反発し、素直な情愛が示せないけれど、でもそれでも河童が去ることに大泣きする妹。おそらくは仕事を犠牲にしつつも、河童をかばい、こどもたちをかばう父親。
河童という異形に出会いながらも、人間としての精一杯の優しさを示す家族たち。

でも、彼らは河童を救うことができない。

救ったのは、救おうとしたのは犬のオッサンなのだ。
犬が死ぬ話は嫌いだ。猫の死ぬ話だってイヤだけど、猫は自分のためにしか死なない。理不尽に殺されることはあっても、やはりその理不尽を受け止めるのは猫自身だから。狼は群れのために死ぬことはあっても飼い主など持たない。
だが、ろくでなしの飼い主のために従容として死を受け入れる「犬」の話は、黒々としてイヤな塊を飲んだような気分にさせられる。
被害者が、被害を受けながら、その被害を与えたものの心を慮っている…よくあることだ。辛くて、悲しくて、よくあることだ。だから、犬の死ぬ話はイヤだ。

なんで、少年は泣いている河童を助けてビルを上らない?どこまでも、他の人間のいない場所を目指して行こうとしない?たとえ、その力がなくても。親のソバになんかいるなよ。オマエがなんとかしろよ。

そして、死んでいった犬を悼み、大泣きしないのか?なんだか、それが悲しくて悔しくて。

人間でないものにすべての聖性を背負わせ、生々しい人間の毒を描いた物語。
人と人と異なるものは共に暮らすことはできない。ああ、こんちくしょう、そうだよ。正しいよ。ひとは「清浄の地」に住まうことはできない。「清浄の地」に住むのは追われた河童だけ…