真珠の耳飾りの少女

フェルメール展に行ってきたばかりだけど。そのフェルメールの名画真珠の耳飾りの少女」(青いターバンの少女に題材を得た、美しい小説の映画化を見た。

真珠の耳飾りの少女 通常版真珠の耳飾りの少女 通常版
スカーレット・ヨハンソン コリン・ファース キリアン・マーフィ

メディアファクトリー 2005-01-14
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画家フェルメールと、フェルメール家の若きメイド、グリートとのわずかな心の交流のようなものを描いた美しい映画。恋愛映画のくくりにはなっているが、二人の間にあったものが恋愛なのか、共感なのか、はたまた「芸術」という甘美な罪の共有なのか、それはラストにいたるまではっきりとさせない。
それでも、その心の絆は、身重のフェルメールの夫人の狂ったかのような嫉妬を呼び込んでしまう。その嫉妬の強さが、二人の間になんぴとも立ち入れないことを顕しているかのように。
とにかく、清楚でありながら蠱惑の瞳と、誘惑の唇を持つスカーレット・ヨハンソンという女優を連れてきたことで、この映画は勝ったも同然というか…。
実は、それほど絵画の「真珠の耳飾りの少女青いターバンの少女)」と顔の造作が似ているわけでもないのに、絵から抜け出してきたかのような印象を与える。いや、もう、魅力的すぎるくらいに魅力的。
一方フェルメールを演ずるコリン・ファースも、どこか、別世界を幻視しているような画家を上手く表現している。
そして、最初から最後まで、フェルメールの絵をそのまま映像にしてしまったような美しい色彩となにげない日常描写を撮すカメラワークが素晴らしい。フェルメールの絵が好きならば、どこか見覚えのある風景ばかり…
脚本も非常に上手く出来ていて、フェルメールブルーがラピスラズリを削ってつくられていた、とか、フェルメールが影響を受けたと言われる、現在のカメラの前身カメラ・オブスキュラを弄っているシーンがあったりとか、フェルメールにまつわる話を盛り込みつつ。所詮主人とメイドという身分違いの関わり合いであるところの二人の関係性の危うさと、悲しさ。それを、大きな真珠の耳飾りのにぶい輝きに託している。
この映画のおかげで「真珠の耳飾りの少女青いターバンの少女)」のモデルが彼の使用人であったという説が信じられてしまったらしい。それほど、淡く哀しい詩情に溢れた映画だ。(実際には、モデルは娘、もしくは特定のモデルはいなかったという両説があるらしい。)