博多座文楽公演「心中天の網島」

今年も行ってきました、博多座文楽公演。
今年の夜の部は「心中天の網島」と「勧進帳

■心中 天の網島

遊女との恋が真剣であれば、それが身の破滅、甘やかなる道行きに繋がるのが「江戸」の文化というもの。
しかし、妻おさんからの切々とした手紙にうたれた遊女小春は、紙屋治兵衛に自分の心を偽って愛想づかしをし、彼を身の破滅から救おうとする。
一方、小春の心意気を知ったおさんは、その愛想づかしの種明かしをして、治兵衛に小春を救ってやってくれとかき口説く。
しかし、そこへおさんの実父がやってきて、おさんを離縁させて無理矢理ひきとってしまう。
絶望する治兵衛の前に様子を見に来た小春が表れるも、連れ戻しにきた恋敵太兵衛に拐かされそうになる。刃傷とともに太兵衛を殺した二人は死の道行へと走り出す。

実際の心中事件を題材にした実録モノ。といっても物語そのものは、心中から離れて稀代の劇作家の想像力が奔放に作り出したもの
もちろん、現代では理解し難い江戸の道徳律といったものに貫かれてはいるんだけど、さて、それで終わらない近代的な人間の心理のアヤといったものが見え隠れするのが近松のスゴイところ。
タツにくるまって拗ねているバカ息子治兵衛なんて、ダメ男の典型というか。21世紀の世の中にも山ほどいそうな。
おさんにしろ、小春にしろ、ホントのところこのダメ男に執心しているのか、それとも女の意地を貫くことに固執しているのか。自分たちですらわからないのかも、と思わせる。けれど、女としての、妻としての、愛人としてのお互いの生き方と意地だけは譲れぬ「女の戦い」と「女の連帯」。
犠牲となってひとり死のうとする小春の心情を、真に理解し、裏切ることができないのはおさんだけなのだ。その行き方を互いに示す女伊達。「女房の懐には鬼が住むか、蛇が住むか?」とおさんは治兵衛にかき口説くが、まことに女の懐に住むのは、「鬼神の如き覚悟」と「人としての筋」なのだ。
もちろん演劇なので、脚本そのものは破綻しているけれど、義太夫の名調子とそれにあわせた三味の胸かきむしる音色とが、その破綻を破綻とせずにクライマックスまでひた走る。
ドラマのドラマとなすものは、いつの世も変わらぬものらしい。

勧進帳

おなじみの勧進帳。奥羽に逃れる義経主従が安宅の関で、関守富樫にあやしまれ。それを弁慶の機転で切り抜ける、というお話。白紙の勧進帳を堂々と読んでみせたり、主人に手をあげて、義経の身分を隠そうとしたりと、弁慶の大活躍

こちらのほうが、歌舞伎でお馴染みのアレ、といった感じ。「心中天網島」のほうが、比較的地味な演目なので、義太夫も三味線も大勢での華やかなかけあいでフィナーレを飾る趣向だ。
ま、東北ではないので、義経公がでてくればOKとはならないんだけどね(^^;;
弁慶オンステージという感じで、宙を走る弁慶の動きだけで見せるのはさすが。
ただ、義太夫の技術がまだまだ発展途上なのか、複数をひとりでこなしてかつそこに義太夫がいることを忘れさせるといった人間国宝の技術にはいたってない。ついつい喋っている義太夫のほうに目が向いてしまう。比較は酷な話しだし、若手が中心の陣容だったので、まあ、これから、ということなのでしょう。

来年は「ミス・サイゴン」のために文楽公演はお休みらしいです。しょぼーん。