鋼の錬金術師 ミュンヘン

本当に今更ながらだけど、やっとゆっくり録画を見ることができたので、最終話の感想を。

「終わりよければすべてよし」という言葉がある。物語は終わらせることが一番難しい。難しいのはよくわかるが…。それにしても、この終わり方は残念ながら納得がいかない。

時間が足りなかったのか、何故かやっつけでアルによって助けられてしまうエド。それを阻止しようともしない無能なダンテ。それを百歩譲ってペース配分のまずさと考えても、二度と錬金術を使えぬ怖ろしい設定を持ち出し、それを主人公に知らせておきながら、再び弟のために錬金術を使わせるのは、まずいだろう。

しかも、禁断のはずの人体錬成は、理由不明で上手くいくし…。

もしも、ホーエンハイムの言うが如く、エドとアルの4年間の旅が等価交換の穴を埋めるのならば…。ニーナは、ヒューズは、スカーは、そして哀れにも踊らされたホムンクルスたちは、そして賢者の石のために奪われた多くの命は、一体なんのために死んだのか…。彼らの生に、生きようとした努力に意味がなかったとでも?

一番の問題は、この話の核である「等価交換」が「質量保存の法則」ではなく「努力と成果」の話に置き換えられたコトだ。これは単にダンテのエドを陥れるための詭弁だったはずのものが、何故か製作側までが、それに足をとらわれてしまった…。